畠山重忠物語 第6回「畠山の跡目」

近保と成房が語り合ったあの夜から5年がたった。その間、平清盛が大輪田泊(神戸)に人工島・経ヶ島を建設し、法然が浄土宗を開いた。そして治承元年(1177)、平家の対応に不満を募らせた者たちが平家打倒の謀議を行った「鹿ヶ谷の陰謀」が起きた。ここから平家滅亡へのカウントダウンが始まる。

そんな平家の栄華に陰りが見せ始めた頃、本田近保と榛沢成房はとある夜に重能に呼ばれた。2人の胸中にはその用向きがわかっていた。太郎重光は20歳、氏王丸は15歳になる。未だ跡目についての沙汰はなかった。

「その方らを召しい出したは他でもない、我が跡目のことだ」

「・・・・・・」

2人は急に胸を締め付けられた。覚悟はしていたがこの日が来たのだ。お互いに手塩にかけて育てた主君の御子だった。

「わしの跡目は、氏王丸に継がせる」

近保は固まった。成房は一瞬でも胸をなでおろした自分が許せなかった。

「お待ちくだされ御館。まだ氏王丸様は若年にござります。」

近保は重能に反論した。

「若年ゆえ、今のうちに鍛えなければならぬ。鉄は熱いうちに打て、だ。のう成房」

成房は答えられなかった。そして、ずっと隣を見ることができなかった。

「若年というても来年16。わしも16で元服。不足はなかろう」

近保はなおも食い下がった。

「御館、やはり御母堂が三浦の出ではなりませぬか」

「近保、分かりきったことを聞くでない。我らはの、平家に隙を与えてはならぬのだ。隙を与えれば、金窪や稲毛のように押妨される。その方らもよく知っておろう」

「平家の世がいつまでも続くとは限りますまい。」

「控えよ、近保」

重能は近保に一喝した。現代のように各部屋が密室になっているわけではない。万が一、外に漏れれば立場を失うからだ。彼は声を押し殺して、近保を諭した。

「平家が滅亡する証はあるのか。平家に成り代わる勢力でもあるのか。のう近保、御堂関白なき今もなお藤原は朝廷の要職を占めておる。相国様に万が一のことがあったとしても、平家の世は変わらぬ。」

それに、と重能は続けた。

「未だ畠山と河越とで家督の正閏を争うておる時だ。畠山に与するものを増やさねば、一族郎党民百姓を食わしてやることができぬ。近保、理を曲げられるぬところであろうが、そこを曲げて頼む。」

「お受けいたしかねます。」

「なにっ」

「そもそも正閏を申せば、御館の祖父君であらせられる下野権守(重綱)様が秩父の家督をお父君で長子の秩父太郎大夫様(重綱)ではなく、その弟で河越太郎の祖父である秩父二郎大夫(重隆)様にお譲りしたことが後に、源氏の跡目争いとつながり大蔵合戦を引き起こしさらに今日の正閏論を引き起こしておるのでございます。しかるに、御館のご一存だけでは後世、それこそ平家の跡目争いに使われたらいかが相成りますか」

「千葉も了承済みじゃ」

「……」

「横山も、渋谷も、我が弟の小山田も、江戸も、京の武蔵守様も皆承知じゃ。あとは三浦と、和主だけだ」

「……」

「すでに事は決しておる。諦めよ。」

近保は呆然としていた。成房は黙っていた。重能は大仕事を終えた気分だった。しかし、その大仕事に怒りを覚えた者もいた。

現代のように家屋敷は密室にはならない。屏風で仕切っているだけだ。だから盗み聞きもしやすい。その日、盗み聞きをしたのは三浦の方だった。

「氏王丸は、とんだ時鳥の子ですこと」

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