小説とカネ

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小説家を志すものとして、少なからず「これで飯が食えたらな」と思ったことがない人はいないと思う。かくいう私もその1人だ。

小説家が「印税」という歩合制で報酬を得るようになったのは、日本では、夏目漱石の登場まで待たなければならない。それまでは印税というものはなく、原稿の買取やパトロンからの収入くらいだった。

原稿の買取はなんとなく想像できるかもしれないが、パトロンからの収入はあまり馴染みがないと思う。パトロンからの収入というのは、貴族や豪商などといった有力者に仕え「意向に沿った」面白い話を書いたり、揮毫(サインのこと)をしたりして給料や手数料をもらうことだ。揮毫ならまだいいほうだ。「意向に沿った」面白い話というのが曲者で、貴族に雇われた場合、まちがいなくプロパガンダのために話を書かざるを得ない。たとえば戦国時代の大村由己という人は、豊臣秀吉に仕えていた。彼は「関白任官記」という本を著したが、これは百姓出身の豊臣秀吉が、実は貴族の落胤で事情があって百姓の倅として幼少期を過ごし、今日に至るという貴種流離譚風に描かれた豊臣秀吉の関白就任を正当化するものだ。その他、古今東西には仕えている貴族を礼賛したり、政敵をバッシングする内容の本やパンフレットを書いて給料をもらっていたという例もある。

やがて庶民の識字率は上昇、印刷技術も向上していき、文章を読む習慣がついていくと、本の需要も増えていく。当初は原稿の買取りだけの契約が、印税という売上に応じた歩合で収入を得る作家が登場し始め、パトロンからの収入を上回ると、印税が定着するようになった。

そして現代。

本の売上は年々減少しつつあり、小説家は1万部売れれば御の字と言われるようになった。単行本の場合、定価1500円、印税1割とすると150円。それに部数を乗じると、150万となる。食えなくはないが豊かでもない。しかも若手の場合、印税が1割を切るのも少なくないという。こうなれば、たくさん本を書くしかないのだが、そうもいかない。出版社からのオファーがなければ本を出すことはできない。そうすると売上を伸ばすしかない。

しかし、それもうまくはいかない。印税というビジネスモデルは、消費者の「大量消費」が前提となる。「ひろくうすく」というやつだ。この時代、本に1500円もかける人は滅多にいない。音楽のCDでさえ、握手券といった付録がなければ大量には売れない。

では、いっそ媒体をかえるのはどうか。すなわち「電子書籍」だ。電子書籍なら印税率が35%から70%と、紙の本に比べて割が良い。仮に1万部売れたら、最低でも525万円だ。夢がある。でもそうはいかない。第一、電子書籍は読み終わったら売れない。アカウントが凍結したら購入した記録も無くなってしまう。そんなものに1000円以上も金を出す人はいない。音楽をダウンロードする時、250円前後が相場だ。価格設定もそれくらいにしなければならない。

ではどうするのか。「ひろくうすく」がだめならば「せまくあつく」という戦略を取らなければいい。つまり原点に立ち戻り、パトロンや揮毫で不足分を補うのだ。今の時代、パトロンはオンラインサロンやファンクラブがそれに相当するだろう。揮毫はサイン会に置き換えることもできる。なんだったら物販もやってもいい。ともかく小説を書くだけでなく、客商売もする必要があるのだ。

もちろんこれまでの話は、「小説で飯を食う」ための話だ。決して、これが正解ではないし、やる必要もない。今はいい時代だ。自由に創作物を発表することもできる。誰に干渉されることもない。しかし、金を稼ぐのはまた別だ。小説一本で飯を食うには少々厳しい時代になった。

参考文献

職業作家の成立と著作権制度 https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/55/5/55_370/_pdf/-char/ja

なんでコンテンツにカネを払うのさ? デジタル時代のぼくらの著作権入門
岡田斗司夫・福井健策著

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