お茶と権力

本文

アートがなぜ価値を持つのか。よくよく考えてみれば不思議である。紙だの布だのに絵の具を塗ったものに何十億もの値がつく。昨今では、NFTによりデジタルデータにさえ、高値がつくようになった。なぜ高値がつくのか。投機的な資金の流れか、個々の美しさか、世界に唯一だからか。それらもあるかもしれないが、私は「履歴」に価値があるのではないかと思う。

本書、田中仙堂・著「お茶と権力」では、美術品を用いた織田信長の政治戦略と、物の価値について考えるきっかけとなった。

織田信長がなぜ、茶会を開くことにこだわったのか。ズバリ、メディアとしての利用だ。何を広報するのか。当然、自身の戦勝だ。茶会では貴重な唐物と呼ばれる骨董品が使用される。敵から接収したものを使用することで、参加者に信長が戦勝したことを知らしめる効果があった。

本書p60ページを要約するとこうある。「手紙が情報源だった時代、戦に負けても生きてさえいれば負けていないという主張が可能であった。当然、手紙に書いていることを文字通り受け取ることはできなかった。そんな時、茶会で敵が所有する家宝の品が信長の手中にあるのを目にした時、『あの武将が家宝を手放すはずがない。戦に負けたのだろう』と印象づける効果があった。」

しかし、茶道具を見ただけでそんなことがわかるのだろうか。わからない人に見せても意味がないのではないのか。それもそのはず、茶会にはそのような人はまず呼ばれない。茶道具の由緒がわかり、それを手に入れられ、なおかつ諸大名ともパイプを持つことができる、堺にいるような豪商でなければまず茶会には呼ばれない。

当時の商人たちは、武家の有力者とつながりを持つために、武家の嗜みである茶道を嗜んでいた。儀礼はもちろんだが、茶道具の収集も競うように行っていたという。彼らは単に収集するだけでなく、その茶道具がいかなる由緒であるかをきちんと記録して保存していた。ゆえに、信長が手に入れた茶道具の名称がわかれば、すぐにいかなる由緒のもので、今誰が所有しているかまでも熟知していた。さらに商人は、様々な武家の顧客を抱えていたため、信長がどのような茶道具を所有していることはすぐに広まった。

こうして、戦勝の情報が確実のものとなり、多くの諸大名が臣従するようになったという。

なぜ、アートに価値がつくのか。それは履歴(由緒)であると考えたのは、この信長の話が理由だ。アート自体の価値ではなく、今まで誰が所有してきたのか。これが明確であることが大事なのだ。そうすることによって、相手を下した武力の証にもなる。自分は財力だけでなく、このようなステータスの人間であるという証明にもなるのだ。

これは歌舞伎や落語の名跡にも同じことが言える。「〇右衛門」とか「〇〇亭△△」といった名前は、つけられた当初は意味はあったかもしれないが、価値はなかった。しかし、これを幾代もの人間に冠されることによって、歴代の実績が積み重なり、後世その名跡が価値を持ち、その名跡を襲う者にステータスや実力の証明を与えることになる。

NFTだろうがなんだろうがアートの媒体は何でも良いのだ。大切なのはどのような人間が所有してきたのかという履歴が次なる所有者に価値をもたらすのだ。

参考文献

お茶と権力 田中仙堂・著

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